ひ☆ふみの詩

「ひふみ神示」(岡本天明 著)の中から、気になった箇所を書き 記していきたいと思います。

地つ巻 第23帖(p.128)

神も人も一つであるぞ、考えてゐては何も出来ないぞ、
考えないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考えは人の迷ひざぞ、
今の臣民身魂くもりてゐるから考えねばならぬが、
考えればいよいよ曇りたものになる道理分らぬか。

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人間の悪い癖…です。
今、家には11ヶ月になる赤ちゃんがいますが、この子が凄く活発で落ち着きがない。
見てたら本当に、考えなく、先ずやってみる!方針なんです。
上の子達は、ここまでしなかったなぁ〜と思うような事でもなんでもやってしまう。

椅子の上には登る、そこから机の上には登る、挙句は、椅子ごとひっくり返ったり…。
泣いても、懲りずに又やっている。
何でも、その調子なので、物事を身につけるのが早い!。
余計な考えがないってのは、すばらしい事だわ〜と思うんです。

上の子の時は、こっち(親のほう)に余計な考えが一杯あったから、これしちゃダメで、
あれしないから、ダメで…と、親のほうが、考え方が固まっていた。
だから、何でもダメ、ダメ、ダメ…と言い続けてました。かわいそうな事をしました。
いかに、親のほう(私)が、血迷っていたか。

4番目ともなると、何も感じない…のです。又、やっているわ〜位で、ゆっくり見ていられる。
まず、こちらが余計な考えを持たないって事の大事さを4人目でやっと少し気付きました。
遅かったですけど。

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冬の巻 補帖(p.748)

一椀をとつて先ず神に供えよ、親にさテンげよ。子にさテンげよ。
腹八分の二分はさテンげよ。食べ物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。
神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢや。
メグリが不運となり、病となるのぢやぞ。
運ひらくのも食物つつしめばよい。
言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。

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昔々、祖父の家に行くと、朝は必ず仏壇と神棚にご飯を供えてから、
自分達のご飯を食べていた姿を思い出しました。
ちゃんと分っていたのですね。

私達の生活はどうでしょうか?
お腹が空けばおやつがあり、冷蔵庫の中から好きな物を出してきて食べるという、
気ままな生活をしています。
もしかして、おなかが空いた感覚すら、はっきりとないのかもしれません。
又逆に、腹八分目という感覚も知らずにいるのかもしれません。

よく食べる事は、良い事だという思い込みがあったり、
食べすぎは、万病の元とダイエットに走ったり、どちらにしても、
食に対して過剰に反応している気がします。

確かに糖尿病などは典型的な食べ過ぎの病ですものね。
全部を自分に…と思うのではなく、少し相手の為に分け与える心が、運を開くのでしょう。

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黄金の巻 第42条(p.585)

神示読めば神示の気通ふぞ。
神示読めよ。神示うつせよ。
うつす御役結構ぢやなあ。
うつせ、うつせ。人にうつせよ。世界にうつせよ。
悪のミタマなごめ抱き参らすには理解たいせつぢや。

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気づけば、またまたしばらく時間が空いていました。
父の四十九日も無事終わり、5連休も終わって、ホッと一息…、
我が家は順番に風邪を引いてダウンしておりました。
今は、主人がダウン寸前です。

神示から遠ざかっていたからか、四十九日という形式に囚われていたのか、
私自身の心がソワソワ、イライラと落ち着かなかったのか、
久しぶりの、風邪引きでした。
特に双子は、気管支炎の喘息まで起こしてしまって…。何年か振りだった気がします。

私も、この2日間は昼寝が欠かせませんでした。
そして、フト気づいたのは、「神示、しばらく読んでないわぁ…」という事。

神示をただ読んでこうやって書く事だけでも、私の心を諌め、
無理のない生活へと家族を導いていたのかもしれない、さらに、
今の私にとって、ヨガをしたりする以上に、心を健常に導く力があるのかなと
思ったのです。

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黄金の巻 第95帖(p.619)

四季はめぐる。めぐる姿は絵文字名を入力してくださいウヅであるぞ。
ウヅウズは働き、上れば下り、下れば上る。
この神示読んだ今が出船の港、神の恵みの時与へられているのぢや。
明日と申さず実行せよ。
明日は永遠に来ないぞ。無いものぞ。
今のみあるのぢや。

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このウズ、浜本末造氏の「人類は生き残れるか」という本にも、似たような形が出てきます。
そこには、息に吸う息と吐く息と止める息がある。
吸う息は陽性で、吐く息は陰性である。
〜 略 〜
吸う息は、ウズ 2のように内から外に広がる波動を持っている。

吸う息は考える力の原動力であり、吐く息は生む力の原動力であって、止める息が考える力、無知からを出す当体である。
〜 略 〜
日常の仕事の中で、自分の息に注意しながら、自然に習慣づける以外にはない。

とある。

どこまで関係あるのか分りませんが、ウズというものは、エネルギーを持っているようです。
この神示を手に取ったという時点で、行動を起こしたことになるのなら、
そこから、一つずつ、実行して行ければよいのですが…。
浜本末造氏は、般若心経を、墨を摺って書写せよと、書いています。
それは、もちろん、その内容が良い事もありますが、書くという行為、動作をすることで、吸うと吐くとの呼吸が整い、精神が安定するからその効能が強いと書いています。

確かに、声を荒げるとき、イライラしているときは、呼吸が浅いというか、喉からしか声が出ていません。
落ち着いて安定しているときは、腹の底にドスンと錘があるというか、そういう安定感があります。
呼吸を常に意識しようと思います。

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紫金之巻 第55条(p.896)

そなたは中々に立派な理屈を申すが、
理屈も必要ではあるが、あわの如きもの、
そなたの財産にはならんぞ。
体験の財産は死んでからも役にたつ。

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理屈…だけで、生きていたような所があります。
理想論をグダグダと喋り続けていたような感じで…。

去年から今年に掛けて、四男が生まれ、父の病気、葬式と、立て続けに色々な事が起こりました。
理屈をいう間もなく、将来の予測も立てれず、ただ、こなして行く日々という感じです。
四男は、9ヶ月になり、一人で立てれるようになって、どうだ!といわんばかりの表情をしたり、
もっと何か食べたいと、せがんで来たり、本能のままの「生きる」姿に振り回され、圧倒されています。

上の子供達を見ていると、お祖父ちゃんの病気から、どんどんと喋れなくなり、弱る様を身近に感じ、「死」というものを、直視することが出来たようです。
相変わらず喧嘩ばかりで、親としては、「まるで、共食いだな」と悩みだらけなのですが、
その姿に、「生」=生きている者の息遣い、命を感じる事が出来てありがたいと思うこともあります。
子供達自身も、「僕は、まだまだ生きたい、今死ぬのは嫌だ」と思ったようです。

「生と死」「動と静」という対照的なものを一度に見て、感じる事が出来る事は、慰めにもなり、
理屈ではなく、生身で触れて初めて気づくものだと思いました。

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